私たちは知らず知らずのうちに“母性コスプレ”を強いられている。
産まないことは「逃げ」ですか⑥
母性コスプレ
しかし、母性ってなんだろう。優しくて温かくて穏やかでやわらかくて、みたいなものなのか。じゃあ、逆の父性ってなんだろう。強くて頼りがいがあってどっしり構えて、みたいなものか。まあ、これは私の勝手なイメージで綴っただけであって、そんなものはなくてもいいし、どうでもいい。母性が感じられなくても父性が存在しなくても、まっとうに子育てしている人はたくさんいるから。
たぶん、私たちは常にこのイメージに適合するよう、外れないよう、無意識のうちに母性コスプレを強要されているのだ。そこに違和感や息苦しさを覚えていても、理想の母性像を演じている。
もうね、常に女優なのよ。顔はぶたないで。
もっと言うと、いまだに性別の役割に縛られている人も多い。男は「稼ぎと男気」、女は「家事能力と癒し力」。いやいや。競争が苦手で金を稼ぐことに重きをおきたくない男もたくさんいるし、致命的に家事ができない女もたくさんいる。得手不得手があるのだから、得意なほうがやればいいだけなのに、みんな「こうあるべき」に近づこうと頑張ってしまう。疲れるよね。男も女も。
イメージプレイはそろそろやめて、適性を活かした役割分担にしたほうがいい。最近、洗濯洗剤や台所洗剤のテレビCMは男性芸能人が出演することが断然多くなった。CMの世界では実に多くの男が家事をしている。実際は、女が使うものだから女を釣るために男を起用しているのだろうけれど、意識は変わりつつあると思いたい。
〈『産まないことは「逃げ」ですか?』(著・吉田潮)より構成〉
- 1
- 2